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株式会社 ノセ精機 会社概要

経営理念
はんだつけ職人画像

『はんだ付けに光を!』
はんだ付けを通して世の中に貢献する。
はんだ付けの楽しさを伝えたい。

1:ものつくりで培ってきたノウハウを 知恵とユーモアを
  融合することで社会に喜ばれる商品やサービスとして提供する企業を目指します。
2:清潔、安全でゆとりのある職場環境を整え
  社員自身が誇りを持って仕事に取り組める企業を目指します。
3:お客様からのご依頼に対し、常に期待を上回るサービスを提供するため、
  自ら学び、成長して会社を改善し続けます。


株式会社ノセ精機は、はんだ付けを中心として、ものつくりをしている会社です。
はんだ付けのことならお任せを!
会社概要
会社名株式会社ノセ精機
代表取締役社長野瀬 昌治
本社所在地〒527-0174
滋賀県東近江市大萩町271番地
TEL 0749-29-0989
FAX 0749-46-1133
資本金1,000万円
従業員数14名
工場規模敷地面積 1,425㎡
建物面積  525㎡
創 立1975年5月1日
法人設立1984年4月1日
取引銀行滋賀銀行
湖東信用金庫
滋賀中央信用金庫
京都銀行
アクセスマップ

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マスコミへの掲載履歴

主要設備

☆ 宇宙仕様の半田付け ☆ 東京工業大学様 超小型人工衛星 
  Cute-1.7プロジェクト 試作機(地上実験モデル)の半田付け
☆ フライトモデルも無事打ち上げに成功しました!

経営者紹介
代表取締役 社長
 野瀬 昌治
昭和42年生まれ
滋賀県立八日市高等学校卒
島根大学 理学部物理学科 固体物理学専攻 卒
関西NEC(株) 退社後、現在の(株)ノセ精機へ入社
電子機器組立技能士
趣味
昼間のメバル釣り、空手、ゴルフ
ピアノ(Merry Christmas, Mr. Lawrence)youtube 2016年版

読書(活字中毒・・)、木工家具作り、庭木の剪定 など・・
特技

剣道3段、空手3段、スキーSAJ1級
ホームページを通してハンダ付けのノウハウを公開。一般の方からの ハンダ付け作業も請け負い中。
朝日放送【タモリ倶楽部】でハンダ付け講師として出演。ラジオでハンダ付けの専門家として出演したりして『はんだ付けに光を』当てるため活動中。
映像作品に【DVDはんだ付け講座シリーズ】などがある。

2005、2006、2007年【草野派糸東流拳法空手道全国大会】
35歳以上有段 形の部 優勝。
2008年 組み手の部 準優勝
2009年、2010年、2011年 40歳以上組み手の部 優勝!

当社のミッション
電機・電子機器製造業は、戦後日本の経済を発展させ、国民の生活向上に大きく貢献した、日本を代表する産業です。

はんだ付けは、その電機・電子機器製造業においてかかせない技術であり、はんだ付けの高い技術があったからこそ電機・電子機器製造業がかくも発展してきたと言っても過言ではありません。

また一方、はんだ付けの歴史はとても古く、発祥は紀元前にまで遡ります。はんだ付けは長い歴史を持ちつつ最先端の分野では代替不可の技術であり、今もなお進化を続けているという、非常に奥深いものでもあります。

このようにはんだ付けは重要かつ深旨なものでありながら、従来、中学や、工業高校、専門学校や技術系大学などで学ぶはんだ付けは、とても実用的とは言えないもので、決して満足のできる内容ではありませんでした。

世の中の大部分の方が「適当に溶かして固めたらいいだろう」といった認識しかなく、はんだ付けについて正しい知識を持つ方がとても少ないのが現状です。

これは適切な初心者向けの教材・書籍がないことや学校の先生方でさえはんだ付けの正しい技術を学ぶ機会がほとんどないことが原因です。

ここ数年、電機・電子機器製造業界でのはんだ付け技術の進歩は目覚しいものがあります。

部品の小型化が進み、肉眼では見えないような微細なはんだ付けや環境問題に対応した鉛フリーハンダが主流になるなど、はんだ付け業界の常識はどんどん変化しています。

しかし、世間一般の方のはんだ付けに対する古い認識は常態化しており、優れたハンダゴテやハンダ付け技術普及の足かせとなっています。まさしくガラパゴス状態と言っていいでしょう。

こうした現状を打破するためには、はんだ付けの正しい知識を広く世の中に知っていただく必要があります。

㈱ノセ精機では、5年前から、はんだ付けの正しい知識を啓蒙するためHPで無料のはんだ付け講座を公開するなどの活動を行ってきました。

当社は、世の中にはんだ付けを通して貢献することをミッションとしています。

現在、ともすれば暗くネガティブなイメージが纏わりつくはんだ付けですが、10年後、20年後に、誇るべき技術としてはんだ付けが広く明るく認知されることを願っています。
社長ブログ 爆釣!真昼間のメバリング お父さんの強くない空手
社長ブログ
(かなりおバカな・・)
昔の写真や趣味です。
爆釣!真昼間のメバリング
社長の趣味です。
プロ昼間メバル釣り師と呼ばれていました。
お父さんの強くない空手
社長のやせ我慢です。
入門からの稽古日誌が貴重・・

スタッフ紹介

スタッフ募集

DVD はんだ付け講座

DVD

ハンダ付けの技術が
手に取るように判る
DVDはんだ付け講座

採用1500社を超えました!
(有名国公立私立大学、
専門学校、
図書館等を含みます)

・鉛フリーハンダ導入で
  お困りの方に
・ISOで要求される定期的
 教育訓練  や技能認定に
・教育資料をつくる時間のない
 品質管理担当者の方に

個人のお客様向けサービス

イメージ

ハンダ付け1ヶより承ります。
ハンダ付け職人にお任せ!

ハンダ付け職人のブログ

ブログ

Pbフリー(鉛フリー)を含む
半田付け技術集積blog

ハンダ付けの悩み解決!
職人技公開

半田コテ インプレッション
糸半田 インプレッション
その他 Pbフリーに関する情報・・、質問に対する 回答集・・、最高級の半田・・など、ちょっとマニアックな情報もUPしていきます

はんだ付け講習

はんだ付け職人

全国各地で定期的に開催
NPO日本はんだ付け協会主催
はんだ付け検定に対応

社長の生い立ち

1967(昭和42)年 滋賀県東近江市 1月13日の金曜日生まれ。

小学1年生で入学してすぐ、校長先生をからかい過ぎて
張り倒され、廊下に立たされるが、ポタポタと落ちる鼻血で直径1mほどの血溜りを造る。
遅れてやってきた担任の先生(女性)が悲鳴を上げる。
(今なら大事件?)
「こんなひどい生徒は学校はじまって以来だ!」と
親が呼び出される。


小学校の卒業文集の将来の夢には、皆が「20代で結婚」
「30台で成功して・・」「60台で孫に囲まれて幸せに・・」
とまっとうな夢を書く中
「ルパンのような泥棒になる」
「不死身になり世界を荒らしまわる」と書く。

通信簿にはいつも「落ち着きがない」「情緒不安定」
「授業を妨害して困る」と書かれる。

6年の担任の先生に親は
「この子はきっとヤクザになりますよ!」と言われる。
(そんなこと言うか・・)

でも、理科だけはいつも100点。
(勉強漫画で勉強してました)

中学・高校では、英語は「どうせ翻訳機ができる」と勉強せず赤点。

入試に英語のなかった島根大学理学部物理学科に進む。

初めての一人暮らし。親のありがたみを知る。
地味な学生。「エンゲルまさはる」と呼ばれる。
(一人で鍋などの豪華な自炊をしていたので)

固体物理研究室で「ハカイダー」と呼ばれる。
(実験装置を次々に破壊したので・・)

関西NEC(当時)に入社。
研修後、NECニチデン機械へ出向。
宇宙実験用の電気炉の開発に携わる。

※今から考えると自分の権利ばかり主張するおバカなやつでした。
 この場を借りて、当時の上司の方々にお詫びいたします。


さて、この後、私は関西NECを退社してノセ精機に入社しました。
ノセ精機は先代の父(要太郎)が40年前に始めました。

当時はO社の100%下請けで食っていまして
世の中はバブル景気の真っ只中でした。

会社の主力製品は、リレーやフォトマイクロセンサで
毎日30,000個も生産しておりました。

材料は無償支給、設備は貸与、生産計画もO社任せで
言われた通りに品質、コスト、納期のQCDさえ守っていれば
右肩上がりで成長していけた時代でした。

ただし、悔しい思いもしました。
白いものでも黒だと言わねばならない
理不尽な要求にも耐えました。

O社の担当者の機嫌を損ねることは
即、仕事が無くなる事につながります。

こんな時代が私が入社して15年ほど続きました。
今から思えばこの時期に、「何も考えない」腑抜けに
なってしまったのでしょう。


この頃、関西NECで同期だった妻とも結婚しました。
子供も2人授かりました。

結婚当時は給料も多かったですから、
今では「だまされた・・」とよくぼやいております。

バブルがはじけた2002年くらいから
O社の戦略が変わりまして、量産品はすべて中国で
生産することになりました。

それまで「うち以外の仕事はしてはダメだよ」と言っていた
O社の担当者の言うことが
「うちの仕事以外の仕事を見つけないと知らないよ」
と180度変わりました。

「悪いようにはしないから・・」と言っていた
O社の管理職の面々も、片っ端から出向、退職へと
追い込まれていきました。

あっという間に、当社の売り上げは1/10まで減少。
大赤字が続きます。

あわてて慣れない電話アポや飛び込み営業をやりますが
「何でもやります!」
「何でもできます!」

といった「お願い営業」は、虫けらのように「しっしっ!」と
追い払われます。

落ち込んで情けない気持ちになり
「もう営業なんてしたくない・・」と仕事がイヤになります。

それでも、従業員さんたちの仕事を確保するために
なんとか仕事を取ってこなければなりません。

特殊な技術があるわけでもなく、田舎の町工場の
工賃下請け仕事です。

足元を見られてますから、安い仕事しか取れません。
無理にお願いして取った仕事ですから
安いからと言って断るわけにもいきません。

忙しくて残業をしてても、やればやるだけ赤字になるという
何をなっているのかわからないような状態が続きました。

妻には「仕事してるのに、お金が出て行くのっておかしいやん!」
「勤めに出て!」と言われる始末でした。

運転資金は当時社長の父が蓄えを崩して出してくれていましたが
いつまでも続きません。

2004年ごろ
「もうあかんな・・」
「閉めようか?・・」
と親族会議を開きました。

このとき、
「もうちょっとだけ待ってくれ!」
と私は頼みました。

まだやりきれていないことがありました。


このころ、私はあがいておりました。
「このままではいけない」
「新しい事業をはじめなければならない」
「自社商品を開発したい」
「特許をとりたい」

とようやく自分の頭を使って考えるようになっていたのです。   
いろんなことを試していました。

たとえば、「あそこの会社は儲かってるらしい」
と聞けば、飛び込み営業ではなく、
社長に「成功の秘訣を教えてください」と聞きにいきました。

成功者の皆さんは、快く質問に答えてくださいました。
私が聞いた成功のパターンは次の3つでした。

ブランド
アイデア
精神設備の導入

私には、ブランドも資本もありませんでしたから
「アイデアで勝負するしかないな・・」
ということはわかりました。

そこで、私は活字中毒者で歴史小説や伝記、エッセイなんかを
読みまくっていたのですが、これらを禁止して
ビジネス本を読むことにしました。

「金持ち父さん」にはじまって、怪しい金持ち本は
すべて読みまくりました。

Amazonで注文しては、売ることを繰り返していました。
(新刊が安く読めます)

当時は、WEBマーケティングやセールスレター、
ダイレクト・レスポンス・マーケティングなどで
成功している方が続出していた時期で

今まで、下請け仕事しかやったことのなかった私の、
仕事に対する考え方を根底から覆してくれました。


同時進行として、【下請け脱却プロジェクト】と称して
「趣味を仕事にできないか?」を模索していました。

1:木工が好きだったので、近所の製材所と大工さんに
教えてもらいながら、ケヤキの木工家具職人を目指しました。
上手くいったら、パートの従業員さんたちにも木工をしてもらう
つもりでした。

本人は一生懸命ですから、工場の片隅で従業員さんたちの
冷たい視線を尻目に、チュイーンとケヤキを切ったり
削ったりしていました。

でもいくつか作品を創ってみて、
「これ幾らやったら買うかな?」
「月にいくつ売れたら食っていけるかな?」

ということをシュミレーションしてみますと
「これじゃ食っていけない!」
ということに気がつきました。

木工家具職人は諦めました。


2:次に目指したのは陶芸家です。信楽焼きが好きで
信楽によく器を買いに行っていました。

ちょうどアウトドア雑誌に「七輪陶芸」という
記事があり、七輪で立派な焼き物が焼けることを知って
「よし!これだ!」と上手くいったらパートの従業員さんたちにも
粘土をひねってもらおう・・と思いました。

私の住む東近江市は、昔琵琶湖の底だったそうで
古琵琶湖層という良質の粘土が採れます。

近所の川原に行くと粘土は簡単に採集できますので
これは天職かと思いました。

粘土を採集し、ぐい呑みをひねり、釉薬も採集してきました。
さあ、七輪で焼きを入れます。

七輪に炭を入れ、ドライヤーで送風しますと
レモン色の火柱がゴゴーッ!と5mも上がりました。

おそろしい光景です。
中のぐい呑みがオレンジ色にピカッと光っています。
「おお!焼けてる!」

と思ったのもつかの間、ぐい呑みは「うにゃり」と変形し
溶けてしまいました。

次々に焼きましたが、パリンパリンに割れてしまったり
溶けてしまったりで、1個も成功しませんでした。

「陶芸家はやめとこう・・」と諦めました。


3:次に目をつけたのが古民具や骨董品です。
バブルの時に建てた家には、インテリアとして
古民具を飾っていました。

それらを買い集めるのに、古民具屋や骨董市などには
足しげく通っておりました。

火鉢や鉄瓶、カゴなど集め始めましたが
ある日、気がつきました。

「これって、従業員さんたちの仕事を生み出さない」

店主だけで成立する商売です。
古民具屋さんは諦めました。


4:フナムシホイホイ

なにせ資本金がないので、新製品を創るにも
高価なものは無理だと思いました。

「紙製品なら開発費が安くつく?」かと考え
なにか紙を使った製品を創ろうとしました。

趣味の釣りを生かせないかと考えた挙句
図書館で「グレ(メジナ)釣りの餌にフナムシがたいへん有効である」
という記述を見つけ
「これだ!」と開発に乗り出しました。

一度入ったら出られず、なおかつ殺さない構造を
日夜考えては、試作品を作り、
釣りのついでに海へ持っていっては実験を行いました。

そして、何匹かのフナムシは確かに捕まえることが
できるようになりました。

パッケージやコピーも考えました。

ところが、肝心のグレが釣れません。
しかも活きているフナムシに針を刺すのは
とても気色が悪い。

「これは、売れんな・・」
フナムシホイホイは諦めました。


5:オオクワガタの養殖

当時、まだインターネットは一般的なものではなく
パソコン通信というとニフティサーブの会議室で
マニアックな話をすることを指していました。

ニフティのオオクワガタの会議室では、大きなオオクワガタを
育てる方法について熱い議論が交わされていました。

「え? あのオオクワガタが養殖できる?!」
いきなり10ペアを大人買いです。

小学生の頃は、昆虫少年でした。
探しても探しても捕まえられなかったのがオオクワガタでした。
子供の頃、夢にまで見たオオクワガタです。
(しょうがないですね)

オオクワガタの幼虫はキノコの菌糸瓶で育てます。
同級生が近所でアワビ茸を栽培しています。
菌糸瓶は、産業廃棄物になっていました。
捨てるほどあります。
天職かと思いました。

我が家の2階には、10個のケージが並びました。
大事に大事に育てましたが、2年経っても産卵しません。

「ちょっと待てよ・・」
月50万稼ぐためには、いったい何匹のオオクワガタを
毎日売らねばならないかを計算してみました。

数年前まで「1匹100万円!」という記事が載っていた
オオクワガタでしたが、この2年で1匹800円にまで
値下がりしていました。

計算すると、恐ろしい数字が出ました。
1匹500円とすると・・毎日100匹出荷しても
20日でやっと100万円・・
毎日100匹出荷するためには、何匹オオクワガタを
飼育しなければならないか・・

10ペアのオオクワガタは、近所の子供に配ってあげました。
子供たちがとても喜んでいました。(初めての社会貢献でした・・)


6:熱帯魚の養殖

小学生の頃から、小魚を飼うのが好きでした。
結婚してからは、南米のアピストという美しい魚を
飼っていました。

ある日、アピストのペアが産卵していました。
「これや!」
たちまち、水槽の数が10本にも増えました。

我が家は、水槽やらオオクワガタのケージやらで
いっぱいです。

大事に大事に育てていましたが
アピストの卵は孵ることなく、2度と産卵することもありませんでした。

「ちょっと待てよ・・」
月50万稼ぐためには、いったい何匹のアピストを
毎日売らねばならないかを計算してみました。

当時アピストは1ペア2,000円程度でした。
いったい何本の水槽が必要か・・

「住む所がなくなるな・・」
水槽はその日以来、自然に減っていき
現在は、1本に戻りました。


7:理想のスピーカーの製作

私は、イエロー・マジック・オーケストラ(初期YMO)の
隠れマニアです。

故、長岡鉄男氏設計の自作スピーカー(スワンa)などを
製作して、ちょっとしたオーディオマニアを気取っておりました。

妻や子どもらに「このスピーカー 邪魔や!」と言われるたび 
「こんなええスピーカーはない!」と豪語しておりましたが

心の中では、「いまいちライブの迫力が欠けるな・・」と
感じておりました。

そこで、長岡氏の著書にある理想のバックロードホーンの
図にある楽器のホルンのような オウムガイのような 
サザエのような音道ホーンを持つスピーカが 
「造れんかな?・・」と模索しておりました。

ある日、ケヤキの机の脚を削っている時に閃きました。

「理想のスピーカーを縦にスライスしたものを組み合わせたら?・・」

とりあえず5mm厚のベニヤ合板に音道の絵を書いて
ジグソーで切ってみることにしました。

疲れました。手に怪我もするし・・。

「ジグソーで切るのは無理だ・・」
と諦めかけた時、友達のメカ設計屋さんから
「レーザーやったら切れるかもしれんね・・」
という貴重な意見をもらいました。

(本来、鉄板を切り取っている装置です)

そのメカ屋さんの協力を得て、レーザーでカットすることに
成功しました。

私的には、「すごいものを創ってしまった・・」と思いましたが
調べてみると、すでに商品化されていました。

http://www.hasehiro.co.jp/

でも、このスピーカーは現在も活躍中です。
凄まじい音がします。

息子(当時7歳)も「うるとらまんティガが、ここで歌っとると思った・・」
と・・たいへん好評でした。(子供は正直です)

こうして、スピーカーの事業化は諦めました。


8:作家を目指す

1999年ごろから、釣行記や空手の稽古日誌を趣味のHPに
UPしておりました。

そこそこアクセスも集まり、面白いと褒めてもらいました。

そこで「これ、本にならんかな?」と加筆修正して、
「○○大賞募集!」
などという、原稿を募集する出版社にいくつも送ってみました。

すると申し合わせたように、
「1次予選通過しました」
「2次予選も通過しました」
「最終選考に残りましたが惜しくも、出版化は見送られました」

という通知が来ました。

その後は、電話での褒め殺しです。
「この作品は世に出さないのは罪です」
「世の損失です」
「共同出版しましょう!」
「200万円で出版できます!」
「私たちが全国書店で販売します!」

こういう褒め殺しを初めて体験する私は
かなりグラリとしましたが、お金がなかったので断りました。

1年後に、共同出版という名の詐欺商法が新聞に大きく取り上げられ
いくつかの出版社がバタバタと倒産していきました。

「あぶなかったなあ・・」

美味い話には気をつけねばなりません。


☆ついに見つけた!

こんなばかげたことを同時進行しつつ
常に頭の中では考えていました。
「うちに売るものはないのか?」をです。

O社との取引も完全になくなって数年経っていました。
「そろそろ処分してもいいかな・・」

と昔の分厚ク赤いクレーム対策書をパラパラと捲っていました。
改めて見てみると、クレームの95%は【はんだ付け】が原因でした。

「なんやかんや言うても、やっぱり【はんだ付け】が命やな・・」
「はんだ付けは、教えるの難しいもんな・・」

「他の会社はどうやって教えてるのかな?」

このとき「はっ!」と気がつきました。
パソコンに向かってWEB検索してみました。

「はんだ付けに関するホームページはない・・」
「はんだ付けを教える本もない・・」

「これからはんだ付けを学ぼうとする人は、どうやって学ぶのかな?」
「みんな困ってるはず・・」

「自分の持つ拙い知識でも人によっては役に立つのでは・・」

これが、はんだ付けのHPを制作するきっかけでした。
私が知る限りのはんだ付け情報を
詰め込んだHPを公開したのが2004年の11月でした。

HPではんだ付け職人を名乗り「はんだ付け講座」を公開すると
毎日、質問のメールと電話がありました。

私が知らないこともたくさんありました。
片っ端から調べて回答しました。

同じ質問が何度も来て、回答するのが面倒なので
HPの情報をどんどん更新していきました。

こうして、私は短期間ではんだ付けのことについて
猛勉強することになりました。

「発信すれば何倍にもなって帰ってくる」
というのは、このことを言うのか・・と納得しました。

そうして、毎日お客さんと対話しているうち
「はんだ付けをビデオで観られたらいいのにねぇ」
とおっしゃるお客さんがありました。

「それや!」と【DVDはんだ付け講座】の制作を決心しました。

2004年のクリスマスにはもう撮影を始めていました。
年末の忘年会も断り、年始もどこにも行かず
一人で会社で撮影を行いました。
(音が静かだったのです)

社長や家族は反対しました。
「そんなもん売ったら仕事がなくなってしまうぞ!」
「5枚も売れたら御の字や」
「そんなもんにお金使わんとき」

友人達にも「DVDを創るねん」という話をすると
「ふーん・・」という冷たい反応。

あとで聞いた話では、
「あいつはもうダメだ・・」と思ってたらしいです。

従業員さんたちも、一日中パソコンに向かい
営業にも行かない私を白い目で見ていました。
この頃の私は、口ばっかりの大法螺吹きだと思われていました。

まったくの素人でしたが、DVDの制作は着実に
進んでいきました。

でも、とても不安でした。
「1枚も売れなかったらどうしよう・・」
「逆に仕事が無くなってしまったらどうしよう・・」と・・

そのときは、「会社を閉めて勤めに出よう」と
妻とも話をしていました。

そして、DVDが完成したのが2005年の4月でした。

テレビや雑誌に取り上げられたこともあり
周囲の予想に反してDVDは毎日売れました。

同時に始めた、個人向けのはんだ付け請負い
「Dr.はんだ付け職人」にも毎日依頼が来るようになりました。

そればかりか、日本を代表する企業や大学からも
直接依頼が舞い込むようになりました。


ここでおかしなことに気がつきました。

はんだ付けの仕事は、昔から行っていましたが、
O社のような大手企業や工賃下請けの飛び込み営業では
1個あたり10円くらいにしか認められませんでした。

しかも、上手くいって当たり前、褒められる事などありません。
(文句は山ほど言われますが・・)

ところが、こうした技術を必要としているところへ
適切に売ることが出来れば、
同じ技術が1個あたり10,000円にもなるのです。

しかも、「ありがとう」とお礼を言っていただけます。
(お金をいただいているのにです)

これは驚きでした。

そして思ったのです。
「日本の中小・零細の下請け企業は不当に安く技術を
買い叩かれている!」と

確かに大手から安定して量産品の仕事をもらえば
楽して儲けることが出来ます。

しかし、それは考えることを放棄することを意味します。
かならず、大手に依存するようになってしまいます。

自分で販売することが出来ないので
リーマンショックのような景気後退があると
打つ手がなくなってしまいます。
(かつての私のように・・)

中小・零細の下請け企業には自分では気付いていない
優れた技術があるはずです。
(でなければ生き残っているはずがない)

そうした技術を掘り出してどうやって売るか?
ということの一つの解が「ノセ精機」にあると思います。

日本の中小・零細下請け企業が元気になるヒントが
あるような気がします。


先日、私は「日本はんだ付け協会」というNPO法人を
立ち上げました。

誤解だらけのはんだ付け知識が蔓延する世の中で、
誤った解釈による理不尽なはんだ付けの要求に対して
かつての私のように悔しい思いをする
中小・零細企業をなくすのが目的です。

また、はんだ付けの暗くネガティブなイメージを払拭し、
誇るべき技術としてはんだ付けが広く認知されるような
活動を行っていきたいと考えています。


長々と読んで頂きありがとうございます。
はんだ付けに光を!

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